勇気とは、やむにやまれぬ思い

今回は北斗七星の六番星の使い・ミザールからのメッセージです。


勇気がほしいと思っている方へ、お話ししてみましょう。

周りの人から見て「勇気のある人」とは、どのような心を持っているのかを、少し考えてみたいと思います。

そこから、勇気を出すためのヒントをつかんでいただければ幸いです。

勇気のある人は、意外にも「これが私の使命だ、使命だからやるんだ」とは考えていないのではないでしょうか。

あまり、そのような大げさな考えを持っていないことが多いものです。

なかにはそのような方もいるのかもしれませんが、そうした人の真似はなかなかできることではありません。

私は、勇気ある人というのは「やむにやまれず行動している」ように思うのです。

自分が自分であるためには、そうせざるを得ない。

それはインスピレーションを得てのことかもしれませんし、熟考した末のことかもしれません。

あるいは、自分が信じる信仰や信念ゆえのこともあるでしょう。

その時代、その地域、その国や世界において、自分というものを見つめたとき、それをせざるを得ない状況にあるのです。

そうして、誰に指示されたわけでもなく、誰に命令されたわけでもなく、動かざるをえなくて動いたこと……。

それを周りの人は「勇気ある行動」と呼ぶのではないでしょうか。

もしそうであるならば、勇気を欲しがっているうちは、勇気は得られないのかもしれません。

「気合」を入れたり、周りの目を気にしたり、評価を得るために出そうとするものは、本当の勇気ではないかもしれないからです。

勇気はいっときのものではありません。

その場限りのものではないと思うのです。

一度、勇気ある一歩を踏み出したならば、その後は引き下がることができず、前に進むしかない……。

そのような性質のものだといえます。

歴史を振り返れば、カエサルの「ルビコン越え」などがそうではないでしょうか。

ルターの「95ヶ条の論題」もそうですし、内村鑑三の「不敬事件」も同様です。

当事者である本人としては、そうせざるを得なかったのです。

それによって、それまでの人生が全く変わり、その後の人生を決定づけていくことになりました。

そうした行動を、後世の人は「勇気ある行動」だと捉えます。

しかし、本人にとっては、そうせざるを得なかった一歩なのです。

人生において、あなたもまた、勇気ある行動をしたことがあるかもしれません。

あるいは、一度もそんな経験がないと感じている方もいるでしょう。

しかし、このメッセージを読んでいるあなたは、今がその時なのではないでしょうか。

これから、勇気ある人生を送る人なのではないかと私は思うのです。

もしそう思うのであれば、ルビコン川を渡る決断をした時のカエサルの心境に想いを馳せてみてください。

95ヶ条の論題を掲げた時のルターの心がいかばかりであったかを考えてみてください。

のちに不敬事件と呼ばれることになる、その一瞬の出来事における内村鑑三の心の葛藤を理解してほしいのです。

そうした時、あなたはあなたで、あなたがあなたであるために「これだけはしなければならない」ということがあるはずです。

それは、他の人から見たら些細なことかもしれません。

あるいは大胆なこと、愚かなこと、時には常識外れなことや馬鹿げたことに見えるかもしれません。

それでも、あなたにとって「なさねばならないこと」であるならば、なすべきなのです。

それこそが、勇気というものの正体です。

誰にもわからなくても構いません。

あなたは、あなたらしく生きればいいのです。

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