
五番星・アリオトのメッセージです。
AIと情報に依存せず、瞑想によって主体性と直観力を養う
情報についてお話ししましょう。
情報リテラシーという言葉があります。
国によっては、小学生の頃から授業で教えているところもあります。
世界中で、これほどまでにリアルタイムで情報が飛び交い、さまざまな情報を好きなだけ入手できる時代が、かつてあったでしょうか。
不思議に思います。
超古代文明であれば、現代よりも進んだ情報文明が存在していたかもしれません。
情報を鵜呑みにしてはならない。
多角的に情報を集め、事実や真実を見極めることが大切だ、ということはよく言われています。
誰か一人の意見だけを信じてはいけないとか、エビデンス、つまり証拠があるかどうかを調べるべきだ、とも言われます。
最近では、アルゴリズムを使ったAIによる分析や提案、企画など、さまざまなことが行われるようになりました。
その一方で、人間の頭脳がAIに乗っ取られてしまうのではないかと心配する声もあります。
情報には、調査不足や思い込み、妄想、改竄、隠蔽などが含まれることがあります。
そのため、どれほど多角的に情報を集めたとしても、なかなか真実にたどり着けるものではありません。
多くの情報を集めたからといって、その平均が正しいとは限らないからです。
例えば、一つの真実の情報と、九十九の偽の情報を集めて分析し、統計的に「おおよそ、これが真実である」と判断したとしても、その答えは間違っているのではないでしょうか。
ですから、多角的に、より多くの情報を集めれば、必ず真実にたどり着けるとも限らないのです。
アルゴリズムを使ったAIの分析や提案にも、こうした問題があると思います。
AIはとても便利ですが、使う人の依存を高めてしまう面もあります。
依存し続けていると、いつかAIがハンドルを握り、人間がそれに従うようになってしまうかもしれません。
また、現代の知識の世界はあまりにも膨大です。
自分が得た情報について、一つひとつエビデンスを確認するといっても、限度があるでしょう。
さらに、そのエビデンス自体が信用に足るものなのかを検証しなければ、本当の意味で信頼できる証拠とは言えないでしょう。
そうなると、どのようなエビデンスを信用性の高いものとして認めるのか、という問題が生じます。
しかし、その判断にも限界があります。
結局は、「これぐらいの証拠があれば信用できるだろう」という、確率的な判断になっていくのではないでしょうか。
例えば、69パーセント信用できる証拠と、70パーセント信用できる証拠があったとします。
両者を比較することはできます。しかし、どの程度の信用性があれば「エビデンスがある」と表現してよいのか、その基準を決めなければなりません。
そして、その基準をどのように設定するかには、最終的に人間の主観的な判断が関わってきます。
では、その人間の主観的な判断には、どれほどの信用性があるのでしょうか。
こうして情報について考え始めると、きりがないほど難しい問題があることに気づきます。
真実を見極めることも、事実を正確に知ることも、難しい時代になっているのです。
私は、情報を多角的に集めることは大切だと思います。
情報のエビデンスを確認していくことも大切です。
そして、アルゴリズムを使ったAIに判断する権利まで委ねるのではなく、自分自身で判断できるよう、主体性を持ち続ける努力も大切だと思います。
ただし、どれほど努力しても、情報の不正確さを完全になくすことはできないでしょう。
どこで情報が改竄されているのか、何が隠蔽されているのか、わからない部分は残ります。
そして、人間による主観的な判断も残るからです。
そこで私は、人類は瞑想による直観力の向上に取り組むべきではないかと考えています。
特に、無念無想の瞑想がよいと思います。
情報社会では、私たちは日々、頭の中に情報を入れ続けています。
しかし、その反対の努力も大切なのではないでしょうか。
無念無想の瞑想によって、頭の中から情報を手放していくのです。
頭の中に蓄積された情報を外へ出し、できれば、頭を空っぽにすることを目指すのです。
情報にあふれ、目まぐるしい日々を過ごしているからこそ、ゆったりとした時間を持ってみてはいかがでしょうか。
情報を気にせず、時計も気にせず、頭の中にある情報や記憶、感情を、すべて手放していく努力をするのです。
どれほどの日数が必要なのか、どのように取り組めばよいのかは、人によって違うでしょう。
しかし、これからの人類は、幼稚園や小学校の頃から簡単な瞑想の習慣を身につけ、中学生ぐらいから本格的に学んでもよいのではないでしょうか。
そして、社会人になってからも、日常的に瞑想を実践できるよう、学習の機会や施設を提供してはどうでしょうか。
これは、特定の宗教に入るということではありません。
誰もが、自分にとって正しい判断ができるようになるためです。
瞑想を教育の中に取り入れるとともに、社会の中に瞑想のための空間と時間を設け、人類のライフスタイルの一つとして確立していくのです。
私の情報についての分析にも、考えが十分に及んでいないところや、間違っているところがあるかもしれません。その点はお詫びします。
しかし、情報社会の中で情報に溺れず、AIに支配されることなく、自分自身の判断力を保っていくためには、瞑想というものに注目して社会を設計していくことが大切ではないでしょうか。
それは、これからの未来社会をよりよいものにしていくために、必要な取り組みだと思います。
皆さんにも、一度考えていただければ幸いです。
──アリオト

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