M0023 繊細な人こそ勇気ある人になれる

今回は北斗七星の六番星の使いからのメッセージです。

六番星の理念は「勇気」「豊かさ」です。


勇気がほしいあなたに、話をしたいと思います。

勇気がほしいあなたは、とても繊細なことでしょう。

繊細でなければ、勇気などほしくはならないからです。

だからこそ伝えたいのです。

繊細な人こそ、勇気ある人間になれるのだ、と。

もともと何でもどしどし行動できる人は、勇気があるように見えるでしょう。

しかし、そうではないのです。

そんな人はいないのです。

どんなに勇気があるように見える人でも、その実、繊細なのです。

いろいろなことを敏感に感じ、悩み、夜も眠れなくなるほどあれこれ考えてしまう気質なのです。

宗教改革を起こしたルターはその典型でしょう。※注

「超」がつくほど神経質であったからこそ、あれほどの勇気ある行動ができたのです。

ある人は、ルターのこの神経質から勇気への転換から学ぶとよくわかるかもしれません。

日本人であれば、織田信長も豊臣秀吉も徳川家康もそうでしょう。

歴史の偉人を調べれば、ほとんどそうではないでしょうか。

神経質でいろんなことを考えてしまい、とうとう行動できなくなる。

そんなタイプがひとたび立ち上がると、勇気ある人生を歩んでいるものなのです。

では、どうしてそうなるのでしょうか。

もちろん、敏感で神経質な人の誰もが勇気ある人生を送るわけではありません。

人によります。

では、どういう人は、神経質なのに、いろいろなことに敏感なのに、勇気ある人生を歩めるのでしょうか。

答えは、とことん考えることなのです。

自分が感じている恐怖について、いろいろなシミュレーションをするのです。

ぐるぐると堂々巡りをするのではなく、一つ一つ突き詰めて考えて、その可能性を探っていきます。

そうすれば、ありとあらゆる可能性を考えることになるでしょう。

すると、なすべきことが、道が、一つ、目の前に見えてくるのです。

見える。

まさに見えるのです。

そうすれば、もう、その道を歩むしかなくなるのです。

歩まないという選択すらなくなるのです。

そうして、やむにやまれず歩むしかなくなり、歩んでいると、他の人があなたのことを勇気があると称するようになるのです。

勇気とはそんなものです。

ノートでもパソコンでもいいので、そこにあなたの恐れていることを一つ一つ書いて、それを一つ一つ、とことん考えることです。

いずれ、一本の、やるべきことがわかります。

それを実行すればよいのです。

あなたは勇気があると言われるようになるでしょう。

それでよいのではないでしょうか。

あなた自身は自分のことを勇気があるとは思えないままかもしれませんが。

※赤石注:マルティン・ルター(1483〜1546)はドイツ出身の神学者、聖職者、宗教改革者。16世紀のキリスト教世界に大きな変革をもたらした。宗教改革の中心的存在であり、プロテスタントの創始者とされている。ルターは、神の裁きに対する極度の恐れと良心の呵責から修道院に入り、厳しい禁欲生活を送ったが、自分の内面に潜む罪への不安を拭えず苦しんだ。また、彼の内省的で完璧主義的な性格は、自己嫌悪と不安を深める一方で、教会の教えに満たされない心を聖書研究へと駆り立てた。その結果、「信仰による救い」という真理を見出し、深い苦悩を経て得た信仰の確信が、彼の行動の源となった。ルターの勇気は、生まれ持った大胆さから来たというよりも、この繊細で深刻な苦悩を乗り越えた結果として、揺るぎない信仰の確信を得たことから生まれたと言える。

お読みになられて、どのように感じられたでしょうか。

私も勇気がほしいと思っている一人ですが、このメッセージを読んだ時、言霊の力に圧倒されながらも、正直に言うと、すぐには信じられませんでした。

私は子供の頃から自分は気が弱いと思っていましたし、怖いもの知らずのわんぱくな同級生たちを見て羨ましく思ってもいました。

繊細と言えるかどうかはわかりませんが、気が弱いという自己認識は大人になってからも変わりませんでした。

ですから繊細な人ほど勇気ある人間になれるという言葉はすんなりとは入ってきませんでした。

ただ、人生を振り返って「勇気がある」と言われたことが一度もないかというと、いくつか思い出せることもあります。

それはどういう時かと言うと、決まって「これはもう自分がやるしかない」と覚悟した時でした。

そう覚悟しても、行動に至るまで、行動している時、そして行動した後も、恐怖心が消えることはありませんでした。

もちろん、自分が勇気ある行動をしているなどという自覚はまったくありません。

それでも、周りの人には勇気ある行動に見えたのでしょう。

そう考えていって、なるほど、と思いました。

「窮鼠猫を噛む」ということわざではありませんが、その道を進む以外の選択肢がなくなったら、思わず動いてしまうのです。

ですから、自分が感じている恐怖について一つ一つシミュレーションをしていって、そこから一つの道が見えてきたら、あとはその道を進むしかなくなるというのは、その通りなのでしょう。

このシミュレーションのポイントは、恐れていること、不安に思っていることが現実になったらどうしようかと想像しているだけではだめだということです。

私も最初は、あれも怖い、これも怖い、どこにも道はないと堂々めぐりをしていました。

しかし、メッセージにあるように、とことん考えてみました。

恐れていることが現実になったら、本当に自分が思っているほど致命的なことが起こるのかを突き詰めて考えました。

その多くは、現実になったら、致命的とは言わないまでも、不都合なことが起こる可能性が高いものでした。

しかし、中には自分が想像で肥大化させたものもあり、たとえ現実になっても、それほど不都合なことが起こらないものもあることを発見しました。

そうであれば、あとはその道を選択して、進むだけです。

それを周りの人が勇気ある行動と言うかどうかはわかりませんし、自分自身も勇気ある行動をしているとは思いません。

それでも、不安や恐怖で足を踏み出せずにいる自分から、前に向かって一歩を踏み出せる自分になれたなら、素晴らしいことなのではないかと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

引き続き、ご訪問いただけると幸いです。

赤石風斗

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