
北斗七星の三番星の使い・ティンニーンからのメッセージです。
複雑な世界における「正義」
「正義」というものは、そう簡単に口にできるものではないと私は考えています。
何が正義であるかを見極めるのは、それほどまでに難しいことなのです。
一方で、「何が正義ではないか」を判断するのは比較的容易かもしれません。
明らかに私腹を肥やし、人を虐げている姿を見れば、誰もがおかしいと感じるでしょう。
そのような不正を糾弾し、正していくことは決して間違いではありません。
しかし、「何が正しいか」を打ち立てるとなると話は別です。
自分自身の立場から見た正義は確かにあるでしょう。
ですが、そこで一度、相手の立場から見た正義についても考えてみる必要があるのです。
相手は何を正義だと信じているのか。
さらに、特定の相手ではなく、社会や世界に対して正義を打ち立てようとするならば、その困難さは計り知れません。
正義とは、ただ主張すれば済むものではないのです。
正義を掲げたからには、それを実現しようと動くことになります。
「世のため、人のためになるから」という信念を持って。
ところが、皮肉にも世の中というものは、必ずしも思い通りには進まないものなのです。
一つ、有名な歴史的事例を挙げましょう。
第一次世界大戦後、ヨーロッパの国々は甚大な被害を受け、多くの命が失われ、国土も荒廃しました。
その教訓から、人々は「もう戦争はこりごりだ」と考え、「戦争反対、二度と戦わない」という平和の正義を掲げるようになりました。
これは本来、素晴らしいことです。
殺し合いは悲惨であり、誰もが平和を願うのは当然の正義に思えます。
しかし、多くの国々が「絶対に戦争をしない」という決意を固めていたからこそ、ヒトラーが戦争を仕掛けた際、彼は連戦連勝を重ね、あれほど強大な勢力を築き、虐殺を許してしまったという側面があるのです。
これは非常に残酷な皮肉です。
「戦争をしない」ことは一見、絶対的な正義に見えます。
しかし、もし自分の国に侵略者が現れたとき、戦わずに蹂躙されるがままでいいのか、という問いが突きつけられます。
性善説か性悪説か、議論は分かれるところですが、私はその両方が真実であり、大切なのはその「兼ね合い」なのだと考えています。
「この方針さえあればいい」「これだけが正義だ」と決めつけた方が、人は行動しやすくなるでしょう。
しかし、それではきっとどこかで歪みが生じます。
この世界は、それほど単純な場所ではないからです。
だからこそ、二重、三重に多様な視点を持ちながら、一つの方向を目指して、知恵を使いながら、紆余曲折を経て進んでいくことこそが正解ではないでしょうか。
正義を掲げて前進するのは良いことです。
ですが、その正義をガチガチに固定するのではなく、あくまで「目指すべき方向」として捉え、知恵を絞って努力し続けることが大切です。
時には、その方向性自体を修正しなければならない場面もあるでしょう。
しかし、それもまた必要なプロセスなのです。
人を幸せにし、世の中を良くするということは、それほどまでに複雑で、理論通りにはいかないものです。
このお話が、皆さんの何かの参考になれば幸いです。



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