勇気は、動機で決まる

六番星・ミザールのメッセージです。

「誰かのため」という思いの奥にある、本当の心を見つめる

勇気というと、行動を起こすこと、発言すること、と思われているかもしれませんが、それだけではありません。

動機、どういう心でその行動、その発言をしているかがとても大切です。

ところが、この動機、心というのは、目に見えないので、自分でもよくわかっていないことがとても多いのです。

自分は世のため、人のために発言し、行動しているつもりが、いつのまにか、家族のため、組織のため、という言い訳を使って、自分のために生きていることがあります。

ある程度は、家族のため、組織のためと思って生きることも必要ですが、度を過ぎると、軋轢が起きますし、勇気とは思えなくなってきます。

そもそも、この、「◯◯のため」というのは曲者くせもので、自己中心的なものになりやすいのです。

自分のなかでは、誰かのために、家族のために、組織のために、社会のために、国家のために、世界のために、発言し、行動しているつもりなのですが、果たして、それは、本当に「◯◯のため」になっているかどうかはわからないのです。

「◯◯のため」という気持ちは大切です。

自分のことばかり考えているより、よほどいいでしょう。

しかし、よくよくその心を見つめた時に、名誉のためなどの承認欲求のためだったりします。

また、ユング心理学で言うところの、メサイヤ・コンプレックスだったりもすることもあります。※

何かのために生きることで、自分の心のバランスを取ろうとしているのであり、本当に「◯◯のため」を考えてのことではなかったりします。

そして、大抵の場合、無理をしてしまいます。

「◯◯のため」、というのは、それほど難しいことなのです。

人の理想、組織の理想、社会の理想あってこそのものです。

もちろん、「自分のため」に生きる、ということも、内容によって、いい場合もあれば、悪い場合があるのは言うまでもありません。

こうしたことを詰めて考えていかないと、いずれその勇気は無駄になったり、マイナスに作用したりするようになります。

動機、心というものは、それほど重要なテーマなのです。

── ミザール


※赤石注:メサイア・コンプレックスは、日本語では救世主妄想とも呼ばれる。メサイア(Messiah)は救世主を意味する英語。世のため人のために過剰に尽くそうとすることで、自分自身の劣等感や自己肯定感の低さを補おうとする、無意識の心理状態。

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