宗教の光と影

北極星・ポラリスのメッセージです。

宗教について、お話ししましょう。

私は、宗教には素晴らしい面と、気をつけなければならない面の二つがあると思います。

素晴らしい面は、なんといっても、人の人格を限りなく向上させ、神のごとき人として、人を愛し、世の中をよくしていく力があることです。

さらに、人々の心を安らげ、苦しみを取り除き、癒やし、心の支えとなり、生きる力ともなります。

もちろん、すべての宗教がそうであるとは限りません。

しかし、人の人格を向上させ、愛深くし、他の人を傷つけたり迫害したりせず、世の中を平和にしていく宗教は、素晴らしいものだと思います。

仏陀・釈尊の尊い人格と、その教えによる人々の魂の救済。

イエス・キリストの、神のごとき自己犠牲と愛の教え。

ムハンマドの、日常生活に根ざした教えがもたらす安心。

そして、ガンジーに見るような、ヒンズー教における非暴力の教えの偉大さ。

深く、細かくお話しすれば、その尊さ、素晴らしさは限りなくあるでしょう。

ほかにも、素晴らしい宗教はたくさんあると思います。

その宗教を信仰していたことで、あるいは現在も信仰していることで幸福になった人がいます。

また、宗教を信仰していて、人々を感動させる偉大な人も歴史上たくさんいましたし、今もいます。

そして、これからも生まれてくるでしょう。

一方で、気をつけなければならない面もあります。

多くの人が感じているように、宗教の違いによって戦争が起きてきたことは、歴史上たくさんありますし、今も起きています。

宗教の違いによって、殺し合いが起きることがあるからです。

時には、魔女狩りのような残虐なことを起こした宗教もありました。

また、教祖の教えそのものは素晴らしくても、教祖がいなくなった後、残された弟子たちによって運営される教団の中で、教えが変化していくことがあります。

教団が生き延びるために不都合な教えが削除されたり、必要とされる教えが、教祖が本来意図した以上に強調されたり、新しい教えが追加されたりすることもあります。

また、教団の運営方針によって、信者を縛ることが起きる場合もあります。

教祖の教えを、残された教団にとって都合のよいように選択し、その重みづけを変えてしまうことがあるのです。

もちろん、そもそもの教祖の教えが、人の人格を歪め、低俗にし、他者を傷つけたり、暴力的にさせたりするものであれば、それはよい宗教とは言えないでしょう。

何らかの事情があるのかもしれませんが、一般的には信用しないほうがよいと思います。

そうではなく、教祖の人格が優れ、その教えが素晴らしく、その行動が神々しいこともあります。

そうした宗教には、確かに素晴らしい面があります。

しかし、その後、教えが教祖の本来の教えとは本質的に違うものとなっていたり、あまりに排他的、攻撃的になっていたりするのであれば、注意が必要でしょう。

「この教えだけが絶対であり、他の教えを信じることは許さない」という姿勢についても、慎重に考える必要があります。

もちろん、人を虐げたり、傷つけたり、苦しめたりする個人や組織、国家に対して、戦わなければならない時もあるでしょう。

時には宗教であっても、そのような状況に直面することはあると思います。

やむを得ず、そうしなければならない時もあるでしょう。

まず大切なのは、あなたがその宗教によって幸福になっているかということです。

あなた自身の身体を傷つけたり、痛めたりすることは、私は見るに忍びません。

苦行をしたい人もいるかもしれませんが、私はあまりおすすめしません。

そして、人を傷つけることはよくありません。

人を馬鹿にしたり、蔑んだりすることも間違っています。

また、宗教によってあなたが自己中心的になり、欲望が増大し、心が執着の虜になっていくのであれば、それもよいことではありません。

あなたの人格が醜くなり、人に対する見返りを求めない愛が少なくなっていく宗教も、よい宗教とは言えないでしょう。

霊的なことについては、またいずれお話ししたいと思います。

宗教については、ある程度、自分なりに学び、その素晴らしい面と、気をつけなければならない面を整理しておくことが、人生において大切でしょう。

そして、宗教についての自分の考えにも、学びや経験によって改善され、向上していく柔軟性と発展の余地を持たせておく。

それが、あなたの人生をさらに豊かなものにしていくと思います。

── ポラリス

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